Photographer
Takeshi Maeda
Photo
「ザ・ノースフェース」やアパレルブランド、「CHANEL」などの広告撮影を担当。音楽誌「クイックジャパン」などの撮影や数多くのアーティストの撮影を行う。
design
宝島社別冊「メディアの作り方」デザイン担当後、パルコ出版「ポスター」デザイン、ファッション広告などのデザインを担当。日本、NY、フランスにて個展に参画。高い評価を受ける。
books
宝島社より、前田タケシ名義にて「80年代!」刊行
Work
実績
東京藝術大学美術学部油科中退後、「ファクトリー」設立
宝島社別冊「メディアの作り方」デザイン担当
パルコ出版「ポスター」デザイン
音楽誌「DOOL」デザインを廃刊まで担当
その後ファッション広告のデザイン撮影を任され雑誌「流行通信」で広告撮影をする。
その写真を見たピーターリンドバーグ氏より連絡があり渡仏を進められる。だがまだカメラマンとしては新人のため一旦断るも、仏版「ヴォーグ」において同一モデルを使った写真でピーターリンドバーグ氏とのコラボを実現させる。
当時より、撮影だけではなく写真のデザイン、及びレイアウトまで自身で行う。
ファッション誌では「ハイファッション」「流行通信」「アンアン」「オリーブ」「キューティ」
「ポパイ」など多くの広告写真を手掛ける。
以降、ファッション広告の撮影の仕事が増えデザインの仕事をセーブする。
カルトムービーの元祖とされる「ギニーピッグ」の撮影に参加。以降映画撮影も増える。
西麻布「P-ピカソ」「下北沢ナイトクラブ」などの内装をプロデュースする。
テリー伊藤氏と組みビデオ制作なども行う。
ビームス銀座の立ち上げに参加する。
一旦渡米しサンフランシスコに拠点を置き「ザ・ノースフェース」やカリフォルニアにあるアパレルブランドの広告撮影など行う。
帰国後、「シャネル」の広告撮影を1年間担当。宝島社より自身の半生を描いた拙著
「80年代」を刊行。
その後は執筆活動も増え「スタジオヴォイス」「ポパイ」などで執筆する。
その後は「クイックジャパン」などの音楽誌の撮影やアーティストの撮影など幅広く撮影を行う。亡くなる数年前にピーターリンドバーグ氏より雑誌「ヴォーグ」でもう一度セッションしようと言われていたが叶うことはなかった。
【個展歴】
1回目の個展をアットギャラリーにて行う。
日本では3回の個展を成功させる。
NYにて、ピーターリンドバーグ氏の個展に参加。
フランスにて、カールラガーフェルド氏の写真展に参加。
【出版物】
宝島社より、前田タケシ名義にて「80年代!」刊行
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